歴史・史跡・名所

史跡

寺町二条上る西側
藤原定家 京極邸跡

鎌倉時代初期の公家であり、小倉百人一首の編者としてもあまりにも有名な歌人定家が、数ヶ所所有した屋敷のうちのひとつ「京極邸」跡。
現在、二条通りとの交差点から寺町通りを少し北に上ったところ(西側)に「藤原定家 京極邸跡」の石碑がたっています。

下御霊神社の前
横井小楠・殉節地跡

幕末、維新期の思想家(政治家)、肥後藩士。
後、越前藩主松平慶永に招かれ、政治顧問となり、開国通商・殖産興業による富国強兵を主張。 いったん越前藩の政変で失脚したあとも、坂本龍馬ら志士の訪問をうけるなど、幕末から明治維新にかけて政治に深く関与しました。しかし明治維新の翌年、共和的思想の持ち主として保守派から暗殺されたのがこの場所です。

寺町夷川上る東側
本因坊駒札

京都の大火の一つ、宝永の大火が起こるまで寺町通りに寂光寺というお寺があり、「本因坊」という塔頭がありました。
ここに住まいしていた日海(後の本因坊算砂)は囲碁の名人で、信長・秀吉・家康にも仕え、家康の時代には本因坊算砂と改名して幕府の碁所を任されました。
算砂は、江戸に屋敷を拝領した後も、寺町の寂光寺本因坊を本居として、春に江戸へ下り、年末に京の寺町通りに戻る暮らしをしていました。
”本因坊”戦は、囲碁のタイトルマッチであり、その覇者は本因坊を名乗り囲碁名人を表します。